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千石涼太郎の「道人紀行」

人生は長い旅。旅の途中で出会った人、風景、食について感じたままに語ります。



名所


2016/09/01[この記事のエリア] 富良野・美瑛・トマム
北の国から資料館閉館

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 北の国から資料館が、ついに終焉の時を迎える。
 熱心なファンではなく、むしろ「オレのふるさとを暗くてまずしく、田舎もん的に画いている」と、
 不満たらたらだった若き日のわたし。
 「自分のことを、おらなんていわねえよ、東北じゃねえんだから!」といったり、
 野生のキツネを呼んだり、餌付けしたらダメじゃん!と怒ったり。

 でも、あのドラマの美しい映像と人間ドラマには、人を魅了するものを感じていたのだった。

 

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 館内も撮影させていただいたけれど、インターネットででは見せられないので、あしからず。
 出演者の写真、物語を回顧する写真に、黒板五郎の「遺言」

純 蛍 俺にはお前らに残してやるものが何もない。でも、おまえらには、うまくいえんが、残すべきものはもう残した気がする。金や品物はなんも残せんが、残すべきものは、伝えた気がする。正吉や結ちゃんには、おまえらから伝えてくれ。
俺が死んだ後の麓郷はどんなか。きっとなんにも変わらないだろうな。いつものように、春、雪が溶け、夏、花が咲いて畑に人が出てる。
いつものように、白井の親方が夜おそくまでトラクターを動かし、いつものように、出面さんが働く。
きっと、以前と同じなんだろうな。オオハンゴウソウの黄色の向こうに、雪っ子おばさんやすみえちゃんの家があって、もしもおまえらがその周辺に、拾ってきた家を立ててくれると嬉しい。拾ってきた街が、本当に出来る。アスファルトのくずを弾きつめた広場で、快や孫達が遊んでたら嬉しい。
金なんか望むな。倖せだけを見ろ。
ここには、何もないが自然だけはある。自然は、お前らを死なない程度には、充分毎年喰わせてくれる。
自然から頂戴しろ。そして、謙虚に、慎ましく、生きろ。それが、父さんのお前らへの遺言だ。

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 北の国から資料館は終わってしまっても、あのドラマの記憶は消えない。
 泥がついた一万円札・・・・。
 
 自分の人生を振り返ったり、この先を考えるには、富良野めぐりはいいなあ・・・と思うのであった。

2016/09/01 12:07富良野・美瑛・トマム


2016/08/12[この記事のエリア] 洞爺湖・室蘭
ちょっと洞爺湖へ

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 往復、中山峠を通るのは、面白くないので、高速経由で室蘭方面に立ちよってから、
 洞爺湖を目指したわたくし。

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 室蘭といえば、焼きとり(豚だけど)なのですが、天勝に行ったことがないので、
 天勝でてんぷらとなった。
 天丼が食べたい!気持を塩分とカロリーのために、必死におさえ、天もり。
 やはり、天丼にすべきだった・・・と、隣の人の食べる姿をみて思うのだった。

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 でもって、洞爺湖・・・・うーん、外国からの団体さんがたーくさん。
 日本人がその昔、ハワイ団体で行っていたころも、きっとマナーがよくなかったんだろうけど・・・・
 記念写真をいつまでも撮ったり、待っている人がいるのに、看板や石碑などの前で、
 デジカメを確認して、立ち話をする姿を見ていると、
 ちょっとテンションがさがるのだった。

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 というわけで、最後に、この島(砂州)を紹介しよう。
 わたくしが、何度か本に書いたヤリキレナイ川に匹敵する地名。
 沖縄の漫湖とともに、下ネタおじさんたちが連呼する・・・・その名は珍小島!
 
 みなさま、洞爺湖にお越しの際は、ぜひじっくりと拝んでくださいまし。w

 

2016/08/12 15:05洞爺湖・室蘭


2016/05/03[この記事のエリア] 札幌
旧山鼻村住人のご近所散歩

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南14条西10丁目にある山鼻公園に、昨年、童謡「赤い靴」の歌碑ができた。
この童謡は、まさに山鼻に住んでた母親・岩崎かよの子・きみがモデルなのだとか。
明治時代に札幌の新聞社に勤めていた野口雨情はきみが宣教師に連れられて渡米したことを知り、
この詞を書いたのだ。


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なんとなく、山鼻というと9条通りより南に思えていたのだが、
実は中央区区役所の南側から、碁盤の目がズレていて、ここから旧山鼻村の地域。
逍遙館のある南6西12も、まさに山鼻村だったのである。


というわけで、ご近所散策もなかなか楽しいのであった。
 

2016/05/03 16:21札幌


2015/11/09[この記事のエリア] 稚内・留萌
雄冬の絶壁

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 雄冬岬にあるパーキングのなかに、雄冬岬と書かれた石碑があった。
 こんなもんあったっけ?と思っていたら、なんと瀧があった。
 増毛からの帰り道に見つけたのだ。


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 瀧も去ることながら、この絶壁に感動した。
 嗚呼、この岸壁が陸路を閉ざし、船でしか行き来できなかった雄冬なのだなあと。

 海の向こうは、わたしが育った小樽。
 やはり、旅は楽しい。

 

2015/11/09 18:08稚内・留萌


2015/10/24[この記事のエリア] 石狩・空知
駅stationを思い出した今年

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 悲しいとき〜〜! ではないけれど、先日、石狩で夕陽を見た。
 留萌線に乗るのが目的で行った、まるで鉄ちゃん的な旅だったのだが、
 これもわたしにとっては立派な取材。
 国稀によったのだって、公私混同とはいえ、公の部分が無いわけじゃない。
 

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 この夏、幼いころに過ごしていた銭函に泊まり、束の間の時間を過ごした。
 40年ぶりに、銭函で釣りをして、駅にもいった。
 あの健さんが「駅station」の冒頭で映るあの銭函。
 わたしのとって、忘れ得ぬ銭函。
 花園や稲穂の連中にバカにされ「銭函のほうが札幌に近いべや!」といっていたのに、
 札幌の人間にはゴミ箱といわれ、返す言葉がなかった少年時代。(笑)

 いろいろ思い出すことがあったけれど、増毛に向かうとき、
 また銭函を思い、駅stationを思いだした。

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 風待食堂、国稀、健さんの面影を追いながら、 
 彼の映画のコピーを書いていた第一人者・関根忠郎さんを思い出し、
 そして、奥様やふたりのお嬢さんを思い出したのだった。

 奥様とお嬢様の三人でやっていた店。
 Three beads。
 わたしにとっては風待食堂だったのかもしれない。

 
 

 

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 帰り道、雄冬の寄った。
 こに断崖が鉄道を拒んだのだなあ。
 健さんが船で行き来してた雄冬。

 もう一度、みよう。
 できれば、劇場でみたいものだ。

 

2015/10/24 14:48石狩・空知



千石涼太郎

Profile

[ 名前 ]
千石涼太郎

[ 得意ジャンル ]
旅行

[ 職業 ]
作家・エッセイスト

[ 自己紹介 ]
児童書の編集、アウトドア雑誌の編集長等を経て、地方文化や県民性を盛り込んだ紀行文やエッセイ等の執筆活動へ。人生相談や自己啓発、地域振興や教育の分野での活動にも邁進中。いまの悩みは4年前に愛する故郷・北海道にUターンしたことで「北海道に帰る楽しみ」がなくなったこと。小樽ふれあい観光大使のほか、最近はジンギスカン博士としても各地域で活躍中。「やっぱり北海道だべさ!!リターンズ」など著書多数。
執筆、講演のご依頼は、こちらからお願いします。


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